三重県は南伊勢町でnano訪問看護ステーションを立ち上げた前田葵さん。高齢化率50%をこえる町で、最期まで住み慣れた場所で過ごすための選択肢を届けています。訪問看護ステーション立ち上げに秘めた想いにも注目。訪問看護についてはもちろん、事業立ち上げに興味のある方、ぜひご一読ください!
今回の記事はこんな人におすすめ!
- 訪問看護に興味・関心のある人
- 三重県や南伊勢町にご縁のある人
- 事業立ち上げに興味・関心のある人
\今回インタビューにご協力いただいたのはこの方!/
前田葵(まえだ・あおい)さん
高知出身。高知県の看護専門学校を卒業後上京し、病棟や美容皮膚科、訪問看護など合わせて6年間経験を積む。2つ目に経験した都内の訪問看護事業所では、所長として立ち上げを経験するなかで、利用者の奪い合いになる現状を目の当たりに。「もっと社会資源が足りていない場所、社会的に意義ある場所で訪問看護事業所を立ち上げたい」という思いを胸に、友人の存在をきっかけに南伊勢町での訪問看護事業所立ち上げに挑戦。現在は3名の仲間と共に運営しています。
看護師を目指したきっかけについて教えてください
前田葵さん(以下、前田):家の前が、両親が経営する美容院で、実は小さい頃から美容師になりたいと思っていました。高校で進路を決めるときに看護学校の推薦を頂いたので、親に看護学校じゃないと学費を払わないと言われ、泣く泣く看護学校に進学したんです。
学生時代について教えてください
前田:最初は卒業後に美容師を目指そうと思い、卒業しないと次に進めないと思って頑張っていました。その後、転機が訪れます。もともと両親が離婚していて、父親はどこにいるかわからなかったのですが、父の再婚相手の連れ子が、看護学校の1個下の学年にいることがわかりました。両親が離婚してからは、母のもとで金銭的に苦しい環境で育ったのですが、その子は裕福な環境で育っている様子をみて、女性であっても、経済的にも、精神的にも自立して働いていきたいと強く思うようになりました。
それからは看護師として働き、自立した女性として生きていこうというマインドに切り替わり、看護師として働くことに前向きに勉強することができました。留年する余裕もなかったんですよね。
大学卒業後のキャリアについて教えてください
前田:新卒では、東京都のリハビリテーション病院に就職しました。学生の頃は看護師としての仕事の魅力に気づけなかったのですが、働き始めてから魅力に触れることができました。病院で働いていたときに、脳梗塞で半身麻痺と言語障害が残ってしまった患者さんに出会いました。その方は絵を仕事にされていたのですが、復帰した際に初めて描いてくださったのが、私が看護師として働いている姿だったんです。ものすごく嬉しかったです。
病棟は、奨学金の返済が終わる2年半で退職しました。少しでも早く次のステップに行きたかったという思いと、私が働いていた病棟で経験できることは一通り経験できたので、私の場合はここまでかなと思い、転職を決意しました。
美容の道を諦めきれず、美容皮膚科で1年間働いたあと、看護学生のときから「自立するなら訪問看護かな」と思っていたので、訪問看護ステーションで1年半ほど修行しました。その後、新しく立ち上げる訪問看護ステーションの立ち上げに誘ってもらい、立ち上げを経験することができました。
ー立ち上げを手伝うなかで、今に生きている学びはありますか?
前田:新宿だったので、居宅介護事業所も訪問看護ステーションもたくさんあるエリアでした。環境は違いますが、1日30〜40件営業に行っていたので、営業に関するノウハウなどは現在にも生きています。
南伊勢町で訪問看護ステーション立ち上げに至った経緯を教えてください
ー南伊勢町に移住したばかりのときのエピソードを聞かせてください
前田:家も車もない状態から物件探しを始めました。海辺のカフェでバイトもしました。事務所探しにあたっては、役場の方が一生懸命探してくださったんです。すると、地域包括支援センターの方のご実家が空き家だということがわかりました。「訪問看護ステーションを立ち上げるなら、安く貸すよ」と言っていただき、事務所を確保できることになりました。南伊勢町に来てからはお米は買ったことがありませんし、家に帰ったら野菜が玄関に置いてあるなど、地域の人の温かみを感じながら生活しています。
ー仲間集めはどのようにしていたのでしょうか?
前田:新卒で働き始めてからは、「何かやりたいけど、何がしたいのか分からない」時期でした。そのなかで、病院の外に分野問わず飛び出していき、友達を増やす感覚でいろんな人に関わっていくなかで徐々に応援してくれる方も増えていきました。立ち上げた際の3人は、1個目と2個目の訪問看護ステーションで働いてきた仲間と、南伊勢町にきてから人づてに紹介いただいた看護師さんです。ヘルプで助けてくれている看護師さんも、東京にいた頃からの友人です。
訪問看護のやりがいを教えてください
前田:病棟での仕事はルーティン業務だったので、どうしても一人に割く時間には限りがありました。訪問看護であれば、30分や1時間、その人にじっくり向き合えることが魅力だと思います。いろいろとやることがあっても、様子をみて「今日はじっくりお話を聞く日にしよう」とか、ケアの内容も自由に考えて対応することができています。
看取りも私のやりがいの一つです。家で亡くなる選択肢を持てることは、とても大切なことだと思います。不適切な言い方かもしれませんが、最期を共に過ごさせて頂くことは、ご本人様、ご家族様への感謝と感動で胸がいっぱいになります。医療機関が少ない地域で、自宅で看取りができることは私たちの「暮らしていく地域で生きる選択肢の1つとなる」というミッションも達成されるなと思います。
ー訪問看護が浸透していない部分もあると思います。
前田:この方法が抜群に良いと聞いたということはありませんが、地道にやっていくしかないと思います。「訪問介護?」と聞き返されるのは、東京では経験しませんでした。訪問看護ってこんなことができるんですよ、と一つ一つ説明しています。説明する機会をもらっていると捉えています。
ー訪問看護で大切にされていることはありますか?
前田:病棟から訪問看護に転職したとき、失敗したことがあります。内服も、インスリンも「やらないと」と厳しく伝えていました。しかしそうではなく、本人の裁量権のなかで少しサポートするのが訪問看護だと思っています。私の押しつけではなく、安全も考えながら、その人の環境に合わせて接することを大切にしています。
今後チャレンジしていきたいことを教えてください
前田:南伊勢町には、離島がたくさんあります。1日1往復のフェリーでは採算が合わないのでできていませんが、ゆくゆくは船舶の免許をとって、訪問に行けるようになったらいいなと思っています。
また、人口の52%が高齢者であるこのまちで、1期が終わり無事黒字で着地することができました。20代でも、女性でも、形にできることを示したいです。nanoも、10のマイナス9乗という小さな単位からとっています。小さなまちから、全国に通用するような仕組みを届けたいです。
個人の目標としては、女性の経済的・精神的自立を支援したいと考えています。そのためにも、nanoは自分で目標を立てて、その目標に対して自分でお給料を設定するという体制にしていきたいです。そうすることで、病院でフルタイムで働けない方でも、それぞれに合った働き方ができるようになるのではないかと思っています。
野村:雇用を生み出しているので、すでに後者についてはどんどん実現しつつありますね!
看護学生へメッセージをお願いします
ー前田さん、ありがとうございました!
前田さんの「自立した女性として生きたい!」という想いやその背景、訪問看護ステーション立ち上げまでの苦悩まで、盛りだくさんでお話しいただきありがとうございました!“自分で働き方を模索し掴んでいく”という生き様に感じることが多く、自分自身何を軸に生きていくのかを考えるきっかけになりました。南伊勢町での取り組みが全国に広がっていく様子を見れること、楽しみです!
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