医学教育を観察と対話から。「ミルキク」で対話型鑑賞を体験してきました!

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10月10日、地域医療に関心のある学生が集まり、医学だけでなく幅広い分野に視野を広げていくコミュニティ「ちいここ」が、ミルキク代表の森永康平先生をお招きし、体験ワークショップを開催しました。

「ミルキク」は、医療従事者および学生を主な対象にした、対話型鑑賞*を活用しながら観察力・批判的思考力・言語能力・コミュニケーション能力など、総合的な生きる力を養う教育事業です。

*…対話型鑑賞:1980年代に従来の知識偏重の鑑賞教育への疑問からニューヨーク近代美術館で開発された美術の鑑賞法(VTS:Visual Thinking Strategiesとも呼ばれる)。鑑賞者が作品を観た時の感想を重視し、想像力を喚起しながら他者とのコミュニケーションがなされることで、組織化された対話や交流が可能となる。
参考:art scape (https://artscape.jp/artword/index.php/%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E5%9E%8B%E9%91%91%E8%B3%9E)

森永康平(もりなが・こうへい)先生

2011年 3月 筑波大学医学専門学群医学類 卒業後、組合立諏訪総合病院で研修し、2016年〜獨協医科大学の総合診療科へ。現在はとちの葉クリニックの院長として診療を行いながら、京都芸術大学 学際デザイン領域 芸術環境専攻の修士課程に在学。デザイン思考や伝統文化を学んでいる。2020年6月、ミルキクを起業。

目次

アートを医学教育に

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アイスブレイクの様子

「臨床では、医療の知識・技術的なミスだけでなく、患者さんやチームメンバー、他専門家とのコミュニケーションでのすれ違いが思っていたよりも多いことに課題感をもつようになりました」と森永先生。日本の国語教育と海外の国語教育を比較し、日本の国語教育の問題点に触れました。日本では、論文は大学生になってから読み書きすることが一般的ですが、ヨーロッパの一部の国では、高校卒業時点で論文を解釈したり、書いたりする国語力(論理構築力や批判的思考力)が養われるというのです。

医療は、一人ではできません。多くの人とコミュニケーションを取り協力しあいながら、一人ひとりの患者さんと向き合い問題を解決していきます。

「医学の現場にこそ、言葉で考えたり、話して伝えたりする力が必要だと感じました。でも『国語の教科書を読め、本を読め』なんてことを声高にいってもちょっと引いちゃいますよね。楽しく学び続けるには?と考えていた時に、出会ったのがアートでした。」

アートによる学習効果とは

国内の医療系の学校ではまだ一般的ではありませんが、海外ではアートが日常に溢れており、教育に活用する研究も進んでいます。アートを活用する利点の一つとして、Visual literacy=観る技・視覚判断能力が習得できるといわれています。人間の脳は予測することが得意なため、ラベルングしながら効率的に世界をみていますが、逆に言えば一度見切りをつけると、細部や目立たないところに隠れている重要な情報を見落としてしまうことも多くあります。アートを活用することで、まんべんなく全体を俯瞰的に見ることができ、より多くの情報に気づく観察力を養うことができるそうです。

写真を観た際にどのように視線が動くか、黄色い軌跡で示した研究。一般的な方(中央)と比較し美術教育を受けた人(右)は視線は1箇所にとどまらず画面の端までみていることがわかります。 引用文献:Stine Vogt,and Svein Magnussen. “Expertise in Pictorial Perception: Eye-Movement Patterns and Visual Memory in Artists and Laymen”,Perception 36.1(2007):91-100 https://www.researchgate.net/publication/6448902_Expertise_in_Pictorial_Perception_Eye-Movement_Patterns_and_Visual_Memory_in_Artists_and_Laymen

今の医学教育に足りない「事実を知覚する力」を補う

森永先生は、問題解決の順番を
①空(事実 を知覚する。例:西の空に雲があるなあ)
②雨(解釈 をする。例:昼頃には雨が降りそうだ)
③傘(行動 する。例:傘を持とう、外に出ないでおこう)
という例えで示しました。

これは医療でも共通する手順だと思います。学校で習うのは、評価や行動の部分(所見→鑑別疾患、検査や治療、診断の部分など)。自分の眼前にある事実を正しく捉える力を習わずに臨床に出ることになります。事実を起点とせず、伝聞などの二次情報やデータのみで診療が行われてしまうと、思わぬ迷走や無駄な検査等に繋がりかねません。」
と警笛を鳴らします。

森永先生は、事実の知覚や言語力のトレーニングに対し、アートが非常に大きな可能性をもっており、また教育現場に落とし込む一つの方法が対話型鑑賞だと考えているとのことです。

いざ、対話型鑑賞

一枚の絵を見て、参加者6名が自由に気がついたことや発見したことを述べていきました。気がつけば同じ絵と向き合うこと1時間。描かれている事実はあえて言葉にして共有することで膨大な情報量になり、その先にある描かれているものの解釈が何通りも広がっていきました。

対話型鑑賞のなかで事実を知覚する力を養うためには、ファシリテーターのどこからそう思う?”という質問が重要なのだそうです

「『どうして』『なぜ』と聞くと、それは解釈を答えさせることになります。一方で『どこ』と聞くことでまず事実(絵のどこをさしているか)を明確化し、それから解釈を話すという文脈が自然と生まれます。これは医療での問題解決の中でも根幹になる重要なところです。また「何を話しているか」が明確に提示されるので、地に足のついた話し合いも可能になります。同じ視覚情報でも人によって解釈が幾重にも異なることも体感として知ることも出来るでしょう。

対話型鑑賞の様子は文章ではご紹介しきれない部分なので、ぜひ森永先生のワークショップに参加してみてください✨

参加者の感想

・こんなに同じ絵を見ているのに、それを表現する言葉も、捉え方も違うのが興味深かったです。また、ファシリをするときのコツとして、「どこからそう思う?」という聞き方は大事にしていきたいし、今後も気づく力を養っていきたいです。

・オンラインだからこそ「ここ」と指し示せないので、「画面上のここに描かれているこの人」と具体的に言葉にしないとどこの話をしているのか共有しにくいことがとても練習になりました。また、なんとなく伝わっている場面でも、森永先生があえて丁寧にどこの話をしているのかを確認している様子が印象的でした。

・自分で見えているつもりでも、言葉にできていないことに気がつきました。前提も、基本的なところから言葉にすることの大切さを感じました。

他にも、日本人らしい「察してください」の文化や、捉え方や価値観の違いを感じても「あなたはそう思うんだね」と聞く姿勢が大事、などの話題や感想があがりました。アート作品だからこそ、知識量があまり気にならず、正解のない対話が生まれていくことは魅力なのかもしれません。

森永先生、素敵なワークショップをありがとうございました!

ミルキクサイト:https://med-mirukiku-1.jimdosite.com/

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