ROOM TO WORLD代表として、世界につながる教室を主催する助川理子さん。アフリカの人達に恩返しをしたいという想いで、日々活動しています。看護師という仕事への想いにも注目。国際医療に興味のある方、ぜひご一読ください!
今回の記事はこんな人におすすめ!
- 国際医療に興味のある方
- 留学に興味のある方
- 将来海外で働くことに興味のある方
\今回インタビューにご協力いただいたのはこの方!/
助川理子(すけがわ・みちこ)さん
看護師でROOM TO WORLD代表。看護学校卒業後、関東や関西の病院で臨床経験を積み、コロナ禍ではコロナ病棟でも勤務。20代半ばで大きな挫折を味わったとき、単身アフリカへ。そこで多くの子ども達や現地の方に助けられ、その経験から日本とアフリカを繋げる活動を始める。現在は、NPO法人チャイルドドクター・ジャパンのスタッフとしてケニアで医療支援をしながら、講演会や交流会を主催している。
看護職を目指したきっかけを教えてください
助川さん(以下、助川):看護師を目指したきっかけは、小学校3年生のときに偶然テレビで見た、アフリカの紛争地で看護師として働いている日本人のニュースです。その方の姿を見て、強い憧れを頂き、私も将来は飢餓や紛争などで苦しんでいる人達に医療を届けるような仕事がしたい思いました。また、同じ地球でも生まれた国が違うだけで、こんなにも生き方が変わるんだと大きな衝撃を受けました。私の姉が看護師として働いている姿を近くで見てきたこともあり、看護師はすごくいい仕事なんだと感じたことも、看護師を目指したきっかけの一つです。
ー小さい頃から紛争地に興味があったのですか?
助川:なぜか昔から戦争の歴史や、なぜ人は戦争をするのかということに興味がありました。そのため、図書館に行っては戦争に関する本を読んだりと、ちょっと変わった小学生だったと思います。そして、そのときにアフリカの紛争地で看護師として働いている日本人のニュースを見て、世界には日本では考えられないような環境の中で生きている人達がたくさんいるんだということを知り、「幸せな環境で生きている自分になにかできることがあるはずだ」ということをずっと考えていました。
また、日本人で国内で働いている人、海外に出て働いている人、色々な人がいますが、私は、幼少期の経験から海外で本当に医療が必要なところで活動したいという想いがずっとありました。日本では、具合が悪くなった際に病院を受診することができますが、そのような環境が当たり前にない人は世界にはたくさんいます。そのようなところで自分が何かをしたいなというのが、戦争の背景を勉強しているときから自然と沸いて、本当に必要なところに医療を届けたいという想いがずっと心の中にありました。
学生時代の過ごし方について教えてください
助川:私は3年生の専門学校に通っていました。都会の中にあるような専門学校だったので、頻繁に飲みに行ったり、バイトに励んで授業中もバイト疲れで寝て、そこでエネルギーを溜めてからバイトに行くというような学生時代でした。皆さんには真似してほしくはないなと思いますが、色々な仕事を学生のうちに経験できたので、今となってはいい経験だったなと思っています。
ー国際看護師を目指していた学生時代にしていたことはありますか?
助川:気になった人には必ず会いに行くということを決めていました。例えば、本を読んで面白そうだなと思った人の、講演会やサイン会に参加していました。また、SNS等でも素敵な人だなと思った人には、医療に関係なく、会いに行って直接話しを聴きに行っていました。凄く勉強になることもありましたし、影響を受けて私もこんな風に頑張ろうと思うこともありました。その他にも、国境なき医師団や青年海外協力隊の説明会に行くことも、結構早いうちからやっていました。話しを聴きに行くだけでもいいと思うので、少しでも興味があれば何でもやってみることを心掛けると、刺激をたくさんもらって毎日がワクワクしてくると思います。
これまでのキャリアについて教えてください
助川:東京の看護専門学校を卒業してからは、地元の栃木県の大学病院に入職しました。栃木県の大学病院には4年間勤め、脳神経外科と救命救急、ICUを経験しました。そして、国際看護師を目指すなかで、海外で本場の英語に触れたいと思い、オーストラリアに1年間留学しました。その後、いよいよ国際看護師を本気で目指そうと思い、日本赤十字医療センターに入職し、循環器と心臓血管外科を経験しました。そして、これで全身を看ることができると思い、アフリカへ行きました。最初はボランティアという形でアフリカへ行っていたので、お金を溜めては現地に行って、現地でいろいろ学んでは帰ってきて、また日本で一生懸命働いて、またアフリカへ行くということをずっと繰り返していました。しかし、そのなかで新型コロナウイルスが流行したため、海外にはいけない状況になってしまいました。
そんなときに、学校の先生とたまたまお話しする機会があり、「新型コロナウイルスが流行してから、生徒に何も経験させてあげることができていないので、何か子ども達に世界とつながる経験をさせてあげたいんです」というお話しを伺いました。そこで、私が見てきたアフリカを是非日本の子ども達にも知ってもらいたいと思い、日本の教室とアフリカをオンラインでつないだ講演会や交流会を始めました。世界に繋がる教室という名前で授業をさせてもらうなかで、子ども達の表情が驚きやわくわくからとてもキラキラしていて、日本とアフリカが繋がるのってすごくいいなと思うようになりました。それと同時に、教育という分野を勉強する中で、改めて看護っていい仕事なんだということに気付きました。教育もとても楽しくていい仕事だなと思ったのですが、やっぱり私は現地で子ども達の近くで医療支援をしたいと思うようになりました。そんなときに、アフリカで出会った恩師が一緒にやろうと声をかけてくださって、NPO法人チャイルドドクター・ジャパンで活動を始めました。現在は個人事業の講演会活動と、ケニアでの医療支援を行っています。
ー選んだファーストキャリアは、なぜ栃木県の病院だったのですか?
助川:栃木県の病院を選んだ理由は、その病院に父親が入院していたからです。学生時代に何度か父親のお見舞いに行ったときに、看護師がすごくいい対応をしてくれていて、父親もすごく喜んでいたんです。父親が、安心して入院生活を送れるようにしてくれた看護師さんにすごく感謝していて、次は私がそのような想いを患者さんの家族にも届けられたらいいなと思ったことがきっかけです。
いろいろな選択肢があるので、どこの病院で働こうかなと悩んでいる人も多いのではないかと思うのですが、その病院に入って自分が何を学びたいかが一番大事だと思います。新人時代はとにかく毎日必死だったのですが、徐々に自分が学びたい分野や何を大事にしたいかが出てくると思うので、そういった想いから絞っていけたらいいのかなと思います。
ー入職してからギャップに感じたことはありますか?
助川:学生時代は看護ケアのの練習で、「温かいお湯を掛けていきますね」「体勢つらくないですか」というようにすごく丁寧に練習してきたのですが、実際はそんなに時間がないので、急いで洗って次という感じでした。もちろん時間をかけてゆっくりできている病棟もあると思いますが、当時入職したときは忙しい病棟で、ケアがこんなにも短縮されてしまっているということが、入職してからギャップに感じたことです。また、「まだちゃんと拭けていないお尻にもうオムツしちゃってる、でも先輩怖くて言えない」ということもあって、もっと綺麗にしてあげたい、患者さんの話しをゆっくりと聴いてあげたいという葛藤もありました。
ー入職してからのギャップには慣れるものですか?
助川:慣れたくはないけれど、慣れざるを得ませんでした。あのときは先輩に怒られてしまうことばかりを気にしていたので、気持ちの余裕がありませんでした。しかし、今思えば患者さんにもっと優しく対応できたはず。あのときに戻れるなら、苦痛な時間は最短に、でも丁寧にケアしてあげたいと強く思っています。
助川さんの個人事業について教えてください
助川:私は中学生と高校生を対象に、学校にある体育館やホールに生徒を集めて、日本と東アフリカのケニアの貧困地域に暮らす子ども達をオンラインでつないで参加型の交流会や講演会を行っています。今は人種差別の問題がたくさんあると思うのですが、2050年には4人に1人がアフリカの人と言われるほど人口が増加し、日本とアフリカの子ども達がいつか同じステージで仕事をする日がくると言われています。そこで、子ども達同士が英語で交流したり、質問したり、一緒に歌を歌ったり、ゲームをしたりする中で、様々な人種の壁を越えて、同じ目線で関われる人間性を養ってもらえたらと思い、このような活動をしています。
個人事業を立ち上げたときに苦労したことを教えてください
助川:苦労したことはたくさんありました。最初は機械の操作がすごく苦手で、接続関係を学校の先生にお願いしてやってもらったりしていました。また、講演会の前日には胃がキリキリするくらい緊張してしまうんですけど、高校生は英語も上手いし、ケニアの公用語であるスワヒリ語も頑張って覚えて来てくれるので、私の方がついていくことに必死になっていました。その他にも、最初は営業をかけていったので本当にやることが多く、寝る暇もないくらい忙しくなってしまったことが一番大変でした。
海外での活動について教えてください
助川:アフリカにいたときは、自分の出来なさに絶望していました。というのも、日本は医療機器がたくさんあった上で看護を提供すると思うのですが、アフリカには日本のような医療機器はありません。そのため、患者さんが急変したときに、「あれがないこれがない」と私だけが一人で喚いていました。
しかし、現地の人は「そんなものがなくてもこれがあるから」と、何でも代用していたんです。物が無いなりに一生懸命クリエイティブな発想をして、患者さんの命を救おうとしている彼らの姿を見て、私は何をやってきたのだろうと考えていました。今思えば、発展途上国と言われていたケニアの人達に私は何か教えることができると、少し上から目線だったのだろうと思います。しかし、実際は教えてもらってばっかりで何もできなかったんです。
そこでも衝撃を受けて、無いなら無いなりの世界でクリエイティブに働いている人達がいるということを知ったときに、看護の可能性を感じるとともに、まだまだ知らない医療が世界にはたっくさんあると思いました。
ーどのような制度を使って留学したのかを教えてください。
助川:いろいろなエージェントに話しを聞きに行きましたが、当時の私には納得のいくところが見つからなかったので、知り合いの方にオーストラリアの知人を紹介してもらいました。しかし、現在はいいエージェントがたくさんいると思いますし、たくさんの情報であふれているのでエージェントを使わずに海外に飛び出ていく人もたくさんいます。実際に話しを聞きに行って、自分の納得する方法を選ぶのが一番いいと思います。
ーここは絶対に見てほしいという医療体制の国を教えてください。
助川:私が見てきたのはオーストラリアとケニア、タンザニアとベトナムです。
ベトナムは特に興味があれば皆さんにも見てほしいと思います。ベトナムには、ベトナム戦争が終わった後に枯葉剤が撒かれた影響で、いろいろな障がいをもった子ども達が生まれていました。障がいを持った子ども達は、母親にびっくりされて捨てられてしまうこともたくさんあるそうで、そのような子ども達を受け入れている施設がベトナムにありました。私はその施設に見学に行ったのですが、言葉では言い表せないような衝撃がたくさんありました。
そして、戦争の悲惨さも感じましたし、看護の幅の広さも感じました。その他には、オーストラリア、アフリカも見てほしいなと個人的には思いますが、結局は興味のある場所に行くのが一番いいと思います。
現地の医療を学ぶときには、私はアピール力や積極性が本当に大事だと思っています。現地に行っても受け身でいたら何も得るものはないけれど、”こういうことを勉強して、これを知りたい”とをアピールすることで、現地の方がいろいろなことを経験させてくれました今後、チャレンジしたいと思っていることを教えてください。
今後、チャレンジしたいと思っていることを教えてください
助川:まず、アフリカのお母さん達に雇用を生みたいと思っています。
仕事がなく、あっても月収で得られる金額はとても少なく、生活するにはとても厳しい現状があります。毎日生きていくために、食事や家賃などに当てていると、当然医療費にあてる余裕はありません。
私自身、20代半ばに人生の大きな挫折を経験して、命と向き合う仕事をしながら生きているのが苦しいと思う時期がありました。そして、もし人生が最後になるならば何をしたいかを考えたときに、『まだアフリカに行ってない』と思い返し、単身で渡航しました。アフリカに行く前は自分に自信が無くて、非常に自己肯定感も低かったのですが、厳しい環境の中でもすごく前向きに夢を持って生きている子ども達や、お母さん達と出会い、”あなたはあなたのままでいい”ということを言ってくれたんです。そこで、私は初めて自分の居場所を見つけられたと感じました。自分の人生をもう一回立て直して頑張ってみようと思えたんです。
そういった経験から、私も自分の人生をかけてアフリカの人たちに恩返しをしていけるような生き方をしようと思い、活動を続ける中でたどり着いたのが、雇用を作るというものでした。
看護学生へのメッセージをお願いいたします
助川:看護師を目指していることを同じ看護師として嬉しく思います。看護師はコロナ禍で環境がすごく変わって、一時期は医療従事者差別などもあり置かれている立場は決していいものばかりではありませんでした。しかし、患者さんの人生の一番苦しいときに寄り添える、本当にやりがいのある仕事だと思っています。
実際に患者さんにも、「自分の人生の中で一番大変で苦しい時期に、支えてくれて本当にありがとう」と言ってもらえたことがあり、ここまで誰かの人生に関わることができる仕事は他にないと思っています。だからこそ、病院の看護師を離れると決めたときは自分の中では結構大きな決心が必要でした。
現在も時々医療機関で仕事をしていますが、何年たってもいい仕事だと思えると感じています。大切な命を預かる仕事なので大変なことや苦しいこともたくさんありますが、他の仕事では味わえないやりがいがたくさんあります。看護師を一つのツールにして、自分らしく輝ける道を探して歩んでいってほしいと思います。
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